書評

【書評】冒険の書 AI時代のアンラーニング

文月

今回は、孫泰蔵さんが書かれた本、「冒険の書 AI時代のアンラーニング」を読んで感じたこと、考えたことについて書いていこうと思います。

著者紹介

著者:孫泰蔵(そんたいぞう)さん

 起業家であり、1996年、大学在宅中に起業して以来、一貫してインターネット関連のテックスタートアップの立ち上げに従事しています。以来連続して企業をし、多岐にわたって活動している方です。

読もうと思ったきっかけ

ツイッターや新聞等のメディアでもAIが取り上げられ、最近「Chat GPT」なども出てきており、日常生活にAIが身近になってきました。そして、このような技術の進歩が目まぐるしい中で、今後自分はどう立ち回るべきなのか、このままで良いのか少し迷いと不安が出てました。

今何気なく仕事していることも、おそらく今後はAIや機械がやってくれるようになります。そうなると、自分の存在価値とは?生きていけるのだろうか?などなど不安が出てきます。また、そうならないためにも、これからの社会でのようなスキルが必要なのだろうかと考えることもあります。

そんな中、近所の本屋で偶然見かけた本書が偶然目に止まり、僕が抱いている不安や迷いの道標の一助になるかもしれないと考え、本書を手に取りました。

これから僕たちはどのような技術・知識を身につけるべきなのか、また、どのような仕事が今後需要があるのかなど、将来自分がどのようにして生きるべきか考えるきっかけしたく読みました。

AIとは

(Artificial Intelligence(アーティフィシャル インテリジェンス)の略称。コンピューターの性能が大きく向上したことにより、機械であるコンピューターが「学ぶ」ことができるようになりました。それが現在のAIの中心技術、機械学習です。

引用:文部科学省HP

https://www.mext.go.jp/kids/find/kagaku/mext_0008.html

Cat GPTとは

OpenAIが作成した自然言語処理のAIチャットボットのことです。あらゆる質問に対してそれにあった内容の回答をしてくれます。プログラムのコードを書いてくれたり、翻訳することもできるみたいです。

こんな人におすすめ

  • AIが活用される時代において、今後どのように生きていくべきか考えたい方
  • 現代教育について、疑問を持っている方
  • 学校に行くことが嫌になってしまった方
文月

現代の教育システムと現代社会のアンマッチについて、過去の偉人たちとの会話形式で紐解いて、著者なりの答えを導き題している本です。

とてもわかりやすく書かれています。

本書の概要

文月

本書で解説されていることを簡単に紹介したいと思います。

なぜ人間は学ぶのか

なぜ人々は学ぶのか、イヤイヤ学校へ行く意味があるのでしょうか、技術が進歩した今、何十年も前から続く教育を続けていても良いのでしょうか。

学校の在り方について、教育に在り方について、今まで私たちが当たり前としてきたことに対して様々な角度から、偉人との対話形式でわかりやすく説明されています。

現代の教育システムの成り立ちを解説し、紐解いていくスタイルです。

子供はか弱いものとして、社会から隔離して保護する対象であるとしていました。近代に入り、工業化が進むにつれて、人間も機械と同じように「能力」が求められ、「評価」する対象になりました。

子供に対して「教育」をすることによって「能力」を高め、「評価」するようになり、それが当たり前になりました。本書では「人間の機械化」と言っています。

現代の教育はある意味「人間の機械化」をするための社会システムとなっています。

能力とは

「能力」とは一生の宗教のようなもので、実際に存在しないものに価値を見出されているものです。人々は、フィクションとして作り出されたものを実態として認識してしまっています。

「能力」は存在していないのにまるで「価値があるもの」として崇拝され、皆能力を高めようと頑張らさせられる状況にあります。

そして、学校で行う「勉強」は「能力」を高めるためのものとなっているため、イヤイヤ学校へ通うことになってしまうのです。

『機械化された人間』も『成果』で評価されるようになった

冒険の書 AI時代のアンラーニング より抜粋

機械は能力で評価されていても良いが、人間は同じではない(人間は機械ではない)。あたり前ですけど、実際は機械のように評価されちゃてますね。

評価とは

本書には、機械と同じように周りと比較して評価する方法を人間に適用することは間違っていると書いています。

では、著者の考える「評価」はどのようなものでしょうか。

そこには2つのアプリシエーション(感謝)があるといいます。

①学ぶ本人がこの世界の面白さ、不思議さ、それが奇跡的に存在する「存り難さ」をじっくり味わう

②周囲の人が、学ぶ探究ぶりのユニークさや凄さ、意義深さを素晴らしいと称賛する

①と②はとてもポジティブな面を相手に伝えることで励ましになり、相手に対して親愛、感謝の気持ちを抱くようになります。こう言ったプラスの感情は良い循環を生むようになり、より頑張ろう、探究しようという意欲も湧きます。

「評価」とは決して弱点を見つけて自信を失わせることではありません。

アンラーニングとは

機械もだんだんと人工知能かが進む現代において、「人間の機械化」が終焉を迎えることになります。

そこで、本書では「人工知能はメラトリクシーからの解放者であるのではないか」と書いています。

一体どういうことでしょうか。私たちは無意識のうちに常識という箱の中に入っており、「能力」を高めて就職して働くことが「普通」と感じています。

先ずは、自分がその常識という箱の中にいることを認識し、箱の外から客観的に眺めることが大切です。

積み重ねた本を捨てると新たな思考が生まれます

常識の一つとして人として立派に成長し、社会の役に立たなければならないと思い込んでいます。役に立たないことに意味はないのか「無用之用」「他力本願」の例を用いて説明しており、役に立つか立たないかは者の見方次第で、この世の中に役に立たないものなどありません。

どんなことも、巡り巡ってきっと何かの役にたっているはずです。

これから私たちがすべきこととして、本書の主題でもある、ラーニングをしたうえで「アンラーニング」をしていかなければなりません。

アンラーニングとは、自分が身につけてきた価値観や常識などをいったん捨て去り、あらためて根本から問い直し、その上で新たな学びにとりくみ、すべてを組み替えるという「学びほぐし」の態度を言います。

冒険の書 AI時代のアンラーニング より抜粋

ラーニングとアンラーニングを繰り返しながら進める姿勢が「探究する」学びの場とは「世界を良くするために集まった探究者のコミュニティ」が理想的と結論づけています。

読んでみて変わったこと

まず、表紙からしてAIについて語るものかと思ったが、そうでもありませんでした。AIについて語るものとして期待して読んでくださった皆さん。すみません。

さて、読んでみて僕自身が変わったこと(考えが変わった)について書いていきたいと思います!

仕事の価値観の変化

AIが登場したことにより、人間の仕事に仕方が大部変化する兆しが見えてきたました。AIが仕事を奪うのではなく、あくまでも今まで人間が手作業で行ってきた面倒な仕事をやってもらえるものだと思うようになりました。

近代以降、機械が登場し、人間も機械のように「能力」を高めることが求められてきました。能力の高い人間が重宝されていた時代でしたが、AIが登場することによって、人間が一生懸命高めてきた能力が意味をなさなくなってきます。

一見「仕事を奪われる」と思うかもしれません。僕もこの本を読むまではそうでした。

しかし、物の見方を少し変えてみましょう。

仕事を機械にやってもらえれば良いのです。その仕事、もう人間がしなくても良いのです。

さらに技術発展が進めば、人間は「労働から解放」されるのではないでしょうか。

文明が発展するにつれて人間の仕事も変化するものです。今行っている仕事がなくなることはちょっと怖いですけど、その分新しい仕事が増えてくるはずですので、常に先端を追うセンサーを張っておく必要がありそうですね。

レッツ!アンラーニング

概要にも書いてある通りで、繰り返しになってしまいますが、アンラーニングとは学ばないことではありません。ラーニングをし、疑問を持ち探究していくこれが本書で言う「アンラーニング」です。このアンラーニング(探究)をもっと進めて、より充実した人生にできたらいいかなって思うようになりました。

このブログの執筆もアンラーニングの一つなのかもしれません。

今までは真面目に勉強し(能力を身につけ)、良い大学を出て、勤勉に働くことが理想とされそうするように親や先生に言われていました。

しかし、そもそもそれって「幸せなのか」今まで当たり前とおもっていたことに対して疑問を持つきっかけになりました。

AIに仕事を奪われるという脅迫観念ではなく、機械に任せられるものは任せ、人間にしかできない想像的な仕事や、お金に縛られないやりたいことを探究「アンラーニング」していくことができる社会になるのではないかと考え方が変わりました。

とにかく、やりたいと思ったことはとりあえず挑戦してみる!

自分に興味のあることを突き詰めてアンラーニングしていくことが幸せや生き甲斐に繋がるのではないでしょうか。

感想

学校は勉強をやらなければならない、厳しい先生がいたりいやいや通っていた時期があります。誰もがそのいやいや気があったと思います。

この本は、学校へ行くことの意義、学ぶことに対する意義に対して抱くもやもやしたところにズバッと切り込んで、腹落ちする内容であったと感じますし、教育や学ぶと言うことに対して、また、それらを取り巻く環境や社会システムに対する現代技術とのアンマッチについて考えさせられました。

実際、学生の頃僕も「能力」を高めるために必死に勉強し、「評価」されそれが当たり前のことだと思って生きてきました。そして、それはとても退屈で辛い思いもしました。

大学生になった頃、大学を卒業してから自分の興味のあることに対して勉強することはとても楽しいです。

実際に僕の友達も同じような人がたくさんいて、大人になってから勉強する楽しさを知ったという人が多いです。

それもそのはずで、自分の興味あることに対する知的探究心でアンラーニングをしていたからなんでしょうね。

著者の考えや本書に書いてあることに全て共感するわけではありませんが、とても腹落ちする内容で、自分の中にある教育に対するもやもやにダイレクトアタックし、読んだ後なんだかスッキリした気持ちになりました。

本書を読もうと思ったきっかけで書きましたが、AI時代が訪れるにあたって、どのようなスキル(能力)が必要かと不安に思っていましたが、本書を読んで、「あぁ、結局僕も能力信仰に囚われていたのだな」そう気づきました。

これからはスキルを磨く時代ではなく、社会をより良くするために、ラーニングとアンラーニングを繰り返していく時代なんですね。

僕は僕のできることをコツコツ続けていこうと思います!

まとめ

文月

いかがでしたでしょうか?

結構概念的なことを書いた本は分かりづらいこともあるので、大丈夫かなと心配していましたが、わかりやすくとても腹落ちする内容だったと思います。大切なのはこれを読んで自分がどう考えるのか、どう行動するのかだと思います。

こいった本もこれからどんどん紹介できればと思います!

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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